「お祈りを観てもいい?」
まだ、モロッコにきたばかりのころ
パートナーのイスマイルに聞いてみたことがありました。
モロッコの人たちことを知りたくて
2度目のモロッコへ渡った際、
そう、彼に素直に聞いてみたのです。
イスラム教徒の人々にとって、
“お祈り”はとても大切なものなので、
「見せ物じゃない!」
なんて怒られたらどうしよう…
と、少しソワソワしましたが、
快く、「いいよ!」と言ってくれました。
もちろん、
私はモスクへは入ることができなかったので、
部屋の一角でお祈りをする姿を見せてもらうことに。
初めて、イスラームのお祈りを見たのは
大学生の時に履修していた宗教学の授業で
メッカに向かって何十万人もの人々がお祈りする姿でした。
「いったい何がこの人たちを突き動かしているのだろう?」
それが、その時の率直な感想でした。
それから何年も経ち、実際に自分の目で
そのお祈りを見るのはこの時が初めての体験だったので、
瞬きもしないくらい興味津々にその場にいさせてもらったのを、よく覚えています。
時折、かがんだり、
正座したり、額を床につけたりしながら
コーランの一節を読む声は、
まるで詩を読んでいるかのように美しく
神聖な気持ちになる不思議な体験でした。
そんな姿を見た時、また疑問が浮かびました。
「なぜ人々は祈るのだろう?」
もちろん、
それは人によって解釈が違うものかもしれませんが…
私の場合、
日本で祈る時を振り返ってみると、
でてきたのは、
年明けの初詣と、受験前に行った合格祈願。
いわば、「何か目的があってお願いするような感覚」とも言えますが、
彼らが1日5回も、それも毎日、
神様に何かをお願いしているのかといえば、
そうは見えませんでした。
「お祈りしている時ってどんな気持ちなの?」
と聞いてみると、
「とても穏やかな気持ち」
「神さまが近い存在に感じる」
「正しい場所に戻る感覚」
という答え。
なんとなく気持ちはわかったものの、
理解と言えるまでには、ほど遠く…。
正直、人がなぜ祈るかなんて考えても分からないかもしれません。
なので、百聞は一見にしかずという言葉もある通り、
私は、モロッコで見様見真似でお祈りをしてみることにしたのです。
私自身、当時は特に何の宗教も信仰しているわけでもないですが
サムシンググレイト的なものは存在していると考えているので、
いざ、やってみようと思うと
心がキュッと引き締まる気持ちがしました。
コーランは全くわからなかったので
自分の心に意識をむけ、
神様という存在?を思い浮かべ目を閉じながらお祈りをしてみると、
自然と感謝の念が湧いてきたんですね。
無事にモロッコへ着いたこと、
貴重な体験をさせてもらていること、
自分が今現在、生きているとういうこと、
日本にいる家族や友人が今日も元気に過ごしていること。
などなど…
あぁそうか!
きっと人々は何かお願いしているというよりも
大事な人や自分の幸せと健康を祈り、
感謝しているのだろうと、その時思ったのです。
そして、そんな体験があってからというもの、
私は、モロッコにいる時感謝をする時間が増えました。
今日も1日元気で過ごせたこと
好きなことに時間を使えたこと
無事に1日を終えたこと
それと、
離れている身の周りの大切な人たちが、
元気に生きていますように!
次会う時に元気に再会できますように!
こんな風に、
不思議と人とのつながりにも深く感謝するようになりました。
でも、やっぱりその時ばかりで
日々忙しくしていると
そんなことはすっかり忘れてしまう。
だからきっと彼らは1日5回
決められた時間にお祈りをするのでしょう。
人間ってすぐ忘れちゃうからね。
モロッコでは、
どんなに自分が貧しい生活をしていようと
他者を歓迎する気持ちや
手を差し伸べようとする気持ちがあることが
「素晴らしいな」と感じながらも、
なぜそれができるのか少々不思議に思っていたのですが、
自分の人生に不満をいただくことなく、
人と比べたり、妬んだりすることなく、
ただ生きていることに感謝する。
そういった毎日のお祈りの習慣が関係しているのかもなぁとも思いました。
何をして生きるのか?よりも
どんなあり方で生きるのか?
そんなことを学んだ体験でもありました。
皆さんは普段
1日の中で感謝できることがあるとしたら
どんなことに感謝の気持ちが湧いてきますか?
どんなあり方で生きていきたいですか?
なんでもないことに感謝の気持ちが持て
人とのつながりを心から感じながら生きることができたら、
それは、1番幸せなことかもしれません。