モロッコ人と交流していると、時々とてもハッとするようなことが起きる。
そう、あれは友人のモロッコ人と話していた時のこと。
何気ない会話の中で私は、
「いつもどんな本を読んでいるの?」と、聞かれたので、
自己啓発や生き方文庫のような本をよく読む私は、
「生き方とか人生とかそういった類のものだよ」ってまぁわかりやすく簡単に答えたんですね。
そしたら、「ユーは哲学者みたいなんだね!」なんて言われながら、笑われたのです。笑
人生を変えたいとは違う、より良く生きたいに近い
(いや、なんで笑うんだ?むしろ結構普通だと思うけど…)
なんて心の中で思いながらも、理由を聞いてみたら、なるほどなと思いました。
というのも、モロッコの人たちは、宗教が生活に根付いているためか、コーランが生きる指針を具体的に示してくれているんです。そのため、そもそも哲学的な本は読むことが少ないとのこと。(もちろん人にもよるかと思いますが…)
私はここで少し疑問が出てきたので、そのモロッコ人に、
「今までに人生を変えたいと思ったことってないの?」
と聞いてみると、
「もちろんあるよ!住みたい場所もあるし、自分のビジネスも成功させたいし…」
と、突然止まり、
「人生を変えたいとは違う、より良く生きたいに近い」 と言い出したのです。
どうやら、’’人生を変えたい’’と言うと、 まるで、”今が幸せでない” と言っているように感じたようで、「今も幸せだから十分だ。でも、自分の叶えたい理想はあるから、より良く生きるために、いまを生きるんだ」
そんな風に言っていたのです。
これを聞いて、 「確かになぁ!」と妙に納得したんですね。
「人生を変えたい」は、今の自分を否定している?
私自身、 「人生を変えたい」と思っている時期はちょうど20代も後半に差し掛かっていたころ。自分のやりたいことをそれなりにやってきたはずなのに、人生に全くといって納得感がありませんでした。
「何か足りないんだよね」
「私には特別なスキルも能力もない」
「この先どうしていけばいいのか」
そんな思いが頭の中をぐるぐる駆け回り、漠然と将来が不安で不安で仕方かなったのを覚えています。
でも、それって、その時の自分の状況をただ否定していたのかもしれない。つまり、自分の’’ない’’ことばかりにフォーカスし、 ’’ある’’ことを見ようともせずに否定しているような状態です。そんなことに気付かされました。
「人生を変えたい」という願いが、人を突き動かすエネルギーにもなるので全くダメだとは思いませんが、’’変えること’’に意識がいきすぎてしまうと、 今の自分の状態や自分の人生を否定し続けてしまいかねません。
’’人生は変えるものではなく、より良くするもの’’
そんなことを、 その人は教えてくれたのです。
「足りない」と思わされている日本と「すでにある」と思えるモロッコ
でもよく考えてみると、日本では、「足りない」と思わされている可能性も否めません。電車でも、街の至る所でも広告だらけで、私たちは無意識に「あなたにはこれが必要」と訴えかけられているように思うのです。
インターネットでもよく見るのは、「肌荒れは人からの印象が〇〇%ダウン」などのコンプレックスをとりあげるようなネガティヴ広告。
そんな「足りない洗脳」「必要だよ洗脳」を受け続ける環境が、もしかしたら私たちの「人生の不満足感」につながっているのかもしれませんね。
一方でモロッコでは、「すでにある」ものに気づかされることが多い。モロッコの人から「人生を変えたいとは違う、より良く生きたいに近い」という言葉がでてきたように、「今自分にあるもの」に感謝する習慣が根付いている。
というもの、その「あるもの」というのは全て、神様に「与えられたもの」という価値観がベースにあるからなのでしょう。
もし、自分自身や自分の人生に対して、不満や不足感がある時は、1度立ち止まって「あるもの」にフォーカスする習慣をつけてみてはいかがでしょうか。
そして、今の自分の人生を今日より明日、 明日より明後日と、「より良く生きるためにはどうしたらいいのか?」そんな視点で考えてみてくださいね。
未来のことを仮定してばかりの’’いま’’では このいまの一瞬が、ただただ過ぎてしまうだけです。
「あなたは、明日、今日よりもより良く生きるために いま何をしますか?」そうやって1歩ずつ自分の幸せを叶えていきたいものですね^^