みなさんはベルベル人をご存知ですか?
ベルベル人は古くから北アフリカにおいて、様々な国をまたいで移住を繰り返してきた民族です。
現在ベルベル人の多くは、アルジェリアとモロッコに住んでおり、モロッコに住んでいるベルベル人口が占める割合は、全ベルベル人口の約5分の3以上と推定されています。
「ベルベル人」という言葉を聞いて、モロッコの砂漠にいる民族!とイメージできる方でも、アラブ人との違いや、どんな人たちなのか、知らない人も多いのではないでしょうか?
実は「ベルベル」という名称は、少々失礼にあたる可能性もあるんです!
モロッコを訪れる上で、ベルベル人について知っておくことはとても大切です!
今回の記事では、モロッコにおけるベルベル人について詳しく見ていきたいと思います。
目次
ベルベル人とは
ベルベル人は、北アフリカに4000年以上前から住んでいる先住民族であり、現在も主にモロッコ・アルジェリア・リビア・エジプトにかけて住んでいます。
現在は、アラブ人が主に人口を占める北アフリカですが、アラブ人は7世紀以降にアフリカの地に侵略してきました。そのため、ベルベル人とアラブ人は全く違う人種といえます。
彼らは強いアイデンティティを持っており、独自の言語で話したり、独自の文化を持っていたりしています。
興味深いことに、ベルベル人コミュニティ内の文化・伝統はとても部族的であり、地域によって異なるのが特徴です。
例えば、ベルベル語の中にも方言があることや、民族衣装に特徴があるなどが挙げられます。
日本が大好きなベルベル人の友人によると、ベルベル人の性格はちょっとシャイで真面目な人が多く、そんなところが日本人と似ていて、親近感がわくのだとか。
ベルベルの名称の由来!実はよく思わない人もいる!?
「ベルベル」という名称は、ギリシャ語の「意味のわからない言語を話す人」を意味する「バルバロイ」という言葉に由来しており、“野蛮”などのマイナスなイメージもあることから、「ベルベル」と呼ばれることを、よく思わない人もいます。
実際に、彼らは自分たちのことを「Amazigh(アマーズィーグ)」と呼んでおり、「誇り高き自由人」を意味しています。
サハラ砂漠などの観光地では、ベルベルと呼ばれることに慣れているようですが、実際に「あなたはアマーズィーグですか?」という言葉で聞いてみると、一瞬驚いた顔をして「僕たちのことを知ってくれているんだね!」と、とても喜んでいました。
そんなに神経質になる必要もないですが、現地の人と交流する際には「アマーズィーグ」という言葉に変えると、彼らを尊重している気持ちが表せるので、覚えておくと良いと思います!
モロッコにおけるベルベル人について
ベルベル人はモロッコの先住民でもあり、現在も山岳地帯(ハイアトラス・ミドルアトラス・リフ山)と砂漠地帯(サハラ砂漠)に住んでいます。
アラビア語とベルベル語が使用されている地域を表す上記の図では、ベルベル人がアトラス山脈・サハラ砂漠の周辺に密集していることがわかります。
一方で、農村地域では仕事があまりないため、マラケシュ・カサブランカなどの都市部に働きに出たり、引っ越したりしているベルベル人の家族が沢山いるのも事実です。
そのため、都市部でもベルベル人がいることは珍しくありませんが、ベルベル人の特徴でもある民族衣装やスカーフは身に着けていませんので、見た目でアラブ人と見分けることは難しいです。
モロッコ旅行では、有名な観光地であるサハラ砂漠へ行くと、べルベル人に会うことができ、ツアーの多くではベルベルの音楽や文化に触れることができます。
また、観光地のスーク(お店)でも、ベルベル人の職人が作った商品が並んでいます。
エレガントな刺繍が施された、カフタン・べルベル絨毯・枕・キリムなどのテキスタイルが素敵ですので、ぜひ探してみてください!
モロッコにおけるベルベル人の歴史
モロッコでは7世紀以降に、アラブ諸国の侵略によりアラブ文化・アラブ人との同化が進みました。
例えば、ベルベル人はもともとイスラム教を信仰していませんでしたが、アラブ人によりイスラム教への改宗を余儀なくされました。そのため、現在のベルベル人の多くはイスラム教徒なんですね。
モロッコはイスラム教のイメージが強いですが、このような背景からも、宗教観は独特です。
モロッコにおけるイスラム教についても知っておくことで、観光時にも役に立ちますので、是非確認してみてください。
アラブ人の侵略後、モロッコは一度スペインとフランスの植民地として支配されますが、支配下から独立した後もベルベル人の文化は見過ごされ、アラブの生活様式を促進されてきました。
しかし、彼らは長年の歴史において、アラブの文化を受け入れながらも、ベルベル人であることを誇りに思い、自分たちの文化を大切にし続けています。
私は、モロッコ特有の穏やかで素朴な雰囲気は、このベルベルの文化があるからなのではと感じています!
現在では、モロッコの国王・モハメッド6世国王(1999年〜現在)が、ベルベルの文化がアラブ文化と同じくらい国民的アイデンティティの一部であることを公認しました。これらが公的に認められたのは初めてとされています。
モロッコにおいて、ベルベル人のアイデンティティが認められたのはとても最近のことなんですね!
ベルベル人の言語について
ベルベル人は「Tamazight(タマジグト)」といわれるベルベル語を使用しています。
タマジグトは独自の文字体系があり、アラビア語とは異なりますが、今日では、多くのベルベル人が日常会話にアラビア語(主に宗教用語)を含めて会話をしています。
モロッコ政府は、ベルベルの文化や言語を長年認めてこなかったのですが、2011年にこれらを正式に認め、現在のモロッコの公用語はアラビア語とベルベル語となりました。
ベルベル人の歴史を考えると、認められたのは本当に最近のことですね。長年彼らが自分たちの文化を守ろうと戦ってきた信念が伝わってくるのではないでしょうか。
アラブ人との関係
モロッコでは現在、アラブ人とベルベル人は互いに友好的に暮らしています。
とはいっても、アラブ人とベルベル人が完全に調和した状態ではないようで、現在も尚ベルベル人は自分たちの文化の保護や、促進を図る活動を行っています。
また、アラブ人と仲良くしつつも、途中から侵入してきたアラブ人のことを「ちょっとずるい…」なんて思っている人もいるみたいです(笑)
実際に、モロッコのアラブ人・ベルベル人の両方に、互いの関係について話を聞いてみましたが、それぞれのアイデンティティを大切にし、異なることを理解しながらも、基本的にはお互いにリスペクトしている様子が伺えました。
旅行者必見!ベルベル人の集落「Ait-Ben-Haddou(アイト・ベン・ハッドゥ)」
アラブ人がモロッコの地を侵略した後、ベルベル人は農村地帯に追いやられ、山や砂漠などの都会から遠く離れた場所で生活をしてきました。
モロッコのアトラス山脈には、かつてベルベル人が作った「カスバ」と呼ばれる城砦や邸宅が数多く残っており、村全体を外敵等から守る為に築かれた、カスバの集落のことを「クサル」といいます。
そのクサルの代表であるAit-Ben-Haddou(アイト・ベン・ハッドゥ)は、ユネスコ世界遺産に登録されており、モロッコの観光名所にもなっています。
アイトベンハッドゥには私も訪れましたが、写真で見るよりもずっと大きく、壮大でインパクトがありました!
このアイトベンハッドゥでは、頂上に登ることも可能で、頂上から見る集落の街並みや自然の美しさは、とても素晴らしく必見です!
ぜひモロッコに行く際には訪れてみてください。
アイトベンハッドゥの場所はこちら!
アイトベンハッドゥの詳しい観光情報も記事にしていますので、参考にしてください!
まとめ
ベルベル人は、長年の歴史において、アラブ人と同化されつつも、現在も独自の文化を守り続けています。
そんな彼らの文化を詳しく知りたい場合には、サハラ砂漠やアトラス山脈にあるベルベル人の村を訪れてみてください。きっとアラブの文化とは違った、彼らの独自の文化や歴史を知ることができるでしょう!
また、世界遺産でもあるベルベル人の集落「アイトベンハッドゥ」は、モロッコの代表的な観光名所にもなっており、素晴らしい景観が堪能できるので、訪れる価値有りです!
現在、ベルベル人のアイデンティティは、モロッコの国民文化の主要な要素となっています。
モロッコにおけるベルベルとアラブの文化の融合こそ、モロッコの魅力だと思いますので、違いを理解しつつ、実際にモロッコに訪れてみてください!
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