「丁寧な暮らし」
そんな言葉を日本で良く耳にしていた頃、私はその言葉を’’耳触りが良いもの’’として聞き流していました。
なんとなくイメージで、暮らしは丁寧な方がいいに決まっている。
そんな漠然とした捉え方をしていたのですが、「丁寧な暮らし」ということがどんなことなのか、私はモロッコという異国の地で、思いがけずとも学ぶことになったのです。
2020年から猛威を奮っているコロナの真っ只中、私は2度もモロッコに渡り、長期で現地の人と生活を共にしています。
今回は、その体験に基づき見えてきた「丁寧な暮らし」について、綴ってみようと思います。
目次
ZOOM漬けの毎日から一変
Withコロナの生活にも慣れてきた2021年、私と人との出会いはオンラインコミュニティという場を通して一気に広がっていました。
ありがたいことに、初めからとても素敵なコミュニティに出会うことができ、そこで出会った人たちは今ではかけがえのない仲間となっています。
モロッコでのリトリートツアーや個人ツアーの提供の準備に向けて現地モロッコに渡るべく、会社員を退職した私の生活はほとんど家での仕事に。
それゆえZOOMというオンラインミーティングのサービスを使ってコーチングセッションを行ったり、コミュニティの仲間と対話したり、気づけば一日中オンラインで人と話す日々が続いたこともありました。
そして、いよいよモロッコに渡り現地での生活を初めてみると、’’ZOOM’’という言葉はいっさい聞かなく、オフラインの生活に一変したのです。
モロッコの人々はわざわざ会って話をする
現地でのコロナの感染者は爆発的に増えているというわけではなくとも、その影響はとても大きなものでした。
観光大国でもあるモロッコでは、職を失った人で溢れかえり、観光客でごった返していた有名な観光都市の広場では、現地の人しか見かけないほどに。
ところが、そんな中でもコロナ以前に訪れたモロッコと比較して全く変わらない光景がそこにはありました。
それは、
モロッコの文化でもあるカフェでの光景です。
人々はコロナというものがまるで存在していないかのように、マスクもせずに何時間も楽しそうに話しているではありませんか…!
4つの都市とそれぞれの村を周りましたが、その光景はいたって同じ。オンラインで人と話すのではなく、わざわざカフェで会って話す。それも、若い人から年配の人まで。
モロッコでのカフェは男性の文化なのですが、女性も夕方になると外で座っておしゃべりをする光景を良く目にしていました。
モロッコの人々と関わるなかでも感じているのですが、彼ら彼女らは話すことが大好きで、人と共に過ごす時間を大事にしています。
たとえば、普段生活を共にしている家族同士でさえ、会うたびに握手をしたりハグをしたりするのだ。
そんな光景を目の当たりにしながら、日本の知り合いたちの言葉がふと、頭をよぎりました。
’’コロナになってから、実家に1度も帰っていない。帰りたくても帰れない’’
’’コロナが落ち着いてから、実家に帰ろうと思う’’
こういう人は何も私の知り合いだけではないし、その選択が間違っているなんて言うつもりは全くありません。
でも、「コロナが落ち着いてからと何でも先延ばしにすることが必ずしもいいことだとは限らないなぁ」と思うのが本音なところです。
話は少し変わりますが、私はモロッコへ旅立った次の日に、実家の愛犬が亡くなったことを母からのLINEで知ることになりました。
モロッコへのフライトの日、その日の朝まで泊まりがけででかけていた私が帰宅した時には、すでに愛犬は病院に連れてかれてた後でした。
そのところ愛犬の体調が不調だったので、不安を抱えながらも帰宅したその足ですぐに荷物を持って空港へ。結局のところ会えずじまいで、その翌日に彼は旅立ってしまったのです。
どうして家を数日あける前に、
「挨拶しなかったのだろう。」
「撫でてあげなかったのだろう。」
「抱っこしてあげなかったのだろう。」
そう悔やんでももうどうにもならないのはわかっているのですが、正直すごくすごく後悔しています。
帰れば愛犬は’’いる’’ということが当たり前になっていたのですが、当たり前の日常がいとも簡単に変わってしまうことなんて、今この瞬間にも可能性はあるんですよね。
そんな出来事があったこともあり、モロッコの人たちのように、実際に会うこと、触れられることに感謝し、できるだけその時間を多く持とうとすることは、少なくとも私たちの心の豊かさにつながることではないかと、オンライン漬けからオフラインの生活に変わって改めて感じたことです。
「丁寧な暮らし」というと、つい、’’生活の質をあげる’’ということに目がいってしまいがちですが、
彼らの生活から見えた
’’今すでにあるもの’’や
’’今自分にとって大切なもの’’を
とことん大切にする暮らしは、まさに丁寧だと思わずにはいられなかった。
そんな丁寧な暮らしは食事の場面でも垣間見えました。
モロッコの家庭では大皿を大人数で囲んで食べる
モロッコでの主な食は、円錐型をした鍋を指すタジン料理や、世界最小パスタともいわれるクスクスなどで、いずれも一度に沢山の量を調理します。
モロッコの家庭ではお母さんが毎回手作りの料理を家族のために作るのですが、前日の残り物なんていう概念はほとんどなく、常に出来立ての料理を家族で囲みます。
食事は必ず家族全員で食べるが基本的。モロッコでは兄弟が5.6人いるのが当たり前なのでその量ったらすごい!笑
しかも、’’家族’’というと日本でいう親戚も含まれるため、訪問者がいるときには1つのテーブルでは収まらないことも。
1つのテーブルをギュウギュウになって囲み、大皿を囲んで共にその時間を過ごす。
この時間はなんだか本当に温かく、ご飯がとんでもなく美味しい…!大人数で同じ食べる料理が美味しいだなんて、イベントなどの特別な場面でしか感じたことがなかったので、日常でそう感じたのは初めてだったかもしれません。
彼らの話す言葉は分からなくとも、1日の食事を共にすればそれはもう、家族の一員みたいになれる。
コロナになってからというもの、’’食事のシェア’’に関しても「なんとなく避けた方がいいよね」という風潮を感じていた私にとって、新たに出来あがろうとしていた価値観はいとも簡単に崩れていった瞬間でした。
急用でなくても実際に会って過ごす時間や、日々の生活に密着している食事をできる限り家族で共にする時間を大切にする彼らの暮らしは、本当に丁寧だとは思わずにいられなかった。
モロッコの生活で何に一番時間を使っているのか?と問うてみる
そんな訳で、ZOOM漬けの毎日から一変したモロッコでの生活は、シンプルだけどとても満たされていました。
モロッコツアーのプランナーとしても活動している私は、こんな状況にも関わらず、「モロッコってこんなところ!」と現地からも発信をし続けているわけなのですが、’’海外旅行’’というものが人々の日常に戻ってくるにはまだまだ時間がかかりそうだ。
そんな中、私はモロッコの日々の暮らしで何に一番時間を使っているのか?と問うてみると、それは間違いなく料理や食の時間でした。
※気がついたら料理や食材についてがやたらと多いインスタ(笑)→AtoZ Morocco SAHA Tour
以前もモロッコの家庭を訪れた時、真っ先にお願いしたのが家庭のモロッコ料理を教えてほしい!ということでした。
そして今回も、モロッコ料理に欠かせないさまざまな伝統的なブレッドの作り方を教えてもらえないか?と、お願いしていたのです。
ただ目的もなく、’’私が好きだから’’という理由だけで料理を習い、行く先々の滞在場所を探す際に気にしていたのは、’’キッチンがあるのか?’’ということでした。
モロッコでの料理は特に楽しい!
なぜなら、どこへいっても必ずスパイス・ハーブの専門店があり、日本ではあまり見かけないスパイスも手に入るから。
それでいて、野菜は八百屋・果物は果物屋・肉は肉屋・魚は魚屋で買うのが一般的で、ローカルマーケットでは、安くて新鮮な食材がびっくりするほどの安価な値段で買えるからです。
店といっても屋台みたいな感じで路面や路上で販売している場合が多く、だいたいは沢山のお店が連なっているので、私はこのマーケットを回るのが1日の楽しみでもあります。
モロッコの家庭では、調理にじっっくり時間をかけるんです。
朝から大きなお皿にどさ〜っと小麦粉を入れ、パンをこねこね…、お昼にはタジンを2時間くらいかけてコトコトと…。夜にはじっくり煮込まれたクミンやターメリックの効いたハリラスープで体はポカポカ、キッチンからは、モロッコ伝統的のなブレッドの香ばしい香りが…!
1日の大半はキッチンにホストマザーがいるので、私は暇さえあれば自然とキッチンを除くようになっていたほどです。
料理中ともなれば、ずっとキッチンにへばりつおて、その様子を毎日じっと見つめていました。笑
私自身、ずっと料理をするのが好きだったので、一人暮らしの時でさえも、ほとんど自炊していたんですよね。
時に、’’自分の作った料理は食べたくない’’とか、’’人のためなら作れる’’という言葉を聞くことがありますが、振り返ってみると、自分のために作るのはずっと苦ではなかったことに気づきました。(もちろん人に喜んで食べてもらう瞬間はさらに嬉しい!)
モロッコでの生活での私は、良く考えてみればほとんど外食はせず、朝からキッチンに立っていることが多いのです。
その時々でお世話になったモロッコ人からもアラビア語で『GOOD COOKER』を意味する言葉を何度もかけてもらえて嬉しかった!
そんな訳でこれまで生きてきて「料理を作る」ということが、自分にとってこんなにも情熱があることに、30年も経って気づくことになったのだから面白いものです。笑
’’1日の中で丁寧に作られた美味しいごはんが食べられたら、私の生活はこんなにも満たされる’’ということにも、このモロッコという土地で気づかせてもらいました。
まさに人間らしい丁寧な暮らしとも言えるでしょうか。
’’丁寧な暮らし’’は自分を満たすこと
’’丁寧な暮らし’’をするために、生活の質をあげようと自分の時間をすり減らして一生懸命になってなってしまっている人も多いのではないでしょうか。
モロッコという異国の土地から改めて感じした「丁寧な暮らし」とは、自分の時間をすり減らして何かの質をあげるのではなく、何気ない日常で自分を満たすことに時間を使うことだと捉えるようになりました。
それがたとえ、外からみて’’丁寧な暮らし’’でなくとも、構わないと思うのです。
料理を作ることが私とっての’’丁寧な暮らし’’ではあるけれど、料理が嫌いな人にとっては、’’料理をせずにいかに美味しいものを食べるか’’ということが’’丁寧な暮らし’’とも言えるわけです。
嫌いなことや苦手なことを’’やらない’’という選択をすることも、時にはそれ自体が’’丁寧な暮らし’’につながると思うからです。
異国の地で生活をしたからこそ感じることができた’’丁寧な暮らし’’の意味と生きる上で大切なこと。これだから、私はモロッコという土地を愛して病まないのです。
モロッコ人々がリアルに’’人と触れ合う’’ことで心が満たされるから、コロナの中でも直接会うことや皆んなで食事を大切にしているように、
「自分にとってどんな時間を持つと心が満たされるのか?」
「どんなことに時間を使うと自分は満たされるのか?」
こんな世の中だからこそ、今一度考えるきっかけとなれば嬉しいです!
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